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食の国日本〝食〟プロデューサー 松田龍太郎ブログ

Foodnia Japan 食の国 日本 連載 第54回

本気と挑むには、30年が必要だ。

線路の段差に微かに揺さぶられながら、空を流れる雲をうっすらと見つつ、帰りの寝台列車の中で、今日のことを思い出している。

僕が乗り込んだ列車は、島根県出雲市駅を出発し、12時間かけて、東京に向かう寝台列車「サンライズ出雲」だ。今回は島根県からご依頼を受け、農業をはじめ、島根県で新たな産業に取り組む若手や担い手を育成する事業の一環で、島根県大田市にある「石見銀山生活文化研究所」という会場に足を運び、講演会を実施、その帰途だった。

通常地方出張は、場所によっては往復飛行機なのだが、さすが出雲、「神在月(かみありつき)」ということで、出雲大社をはじめ観光のまっさかり。まったく飛行機の予約が取れず(苦笑)、さすがに困っていたら、島根県庁の方からのご紹介で、「サンライズ出雲はいかがでしょうか?」と。おもわず予約し、乗車した。さすがに寝台列車自体は、僕の高校生時代、青森から京都にかけて修学旅行の旅程で使って以来なので、25年ぶりとなる。日本の寝台列車も、高級旅行寝台車以外の、ビジネス・観光向けの寝台列車はだいぶ少なくなり、ちょっと目新しい。ふと車窓から外を覗くと、まるで地方のビジネスホテルが移動しているかのような感覚で、夜中から夜明けまでの時間を、時折目覚めながら、一路、東京に向かっていた。

実は行きの列車もサンライズ出雲だった。昨日東京から出雲市に着いたのが、翌朝11時過ぎ。そこから大田市に小1時間、車で移動して着いたのが石見銀山だった。石見銀山は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)だ。最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされている、2007年に登録された世界遺産でもある。

今回、講演会をした場所は「石見銀山生活文化研究所」だ。この研究所を興し、運営しているのが、松場大吉さんとその奥様、登美さんだ。ちょうど20年前、1988年のこの場所に「群言堂(ぐんげんどう)」というショップをこしらえたそうだ。「群言堂」の名の意味は、「みんなでワイワイ発言しながら、よい流れをつくっていくこと」。彼らは、アパレル商品を軸に事業を展開しながら、銀座の真ん中の通り周辺の古民家を宿やお店にコンバージョンし、食のお店などをつくったりしつつ、現在では、東京を含め、数十店舗へ自社商品を卸すまでに成長。全国各地からスタッフも集まり、みなこの石見銀山がある大森町に住みながら、盛り上げている。

少しばかり、今回講演会に参加したみなさんと、彼らが運営している店やオフィスを見学させていただいたが、彼が丁寧に自分たちの暮らしを綴る印象をうけ、そこで使うもの、置いてあるものすべてに「意図」を感じた。こうした意図を丁寧に表現し、世界遺産である石見銀山に集客し、自分たちのビジネスにつなげ展開しているさまは、地域おこしのひとつの「成果」だと思う。実は僕自身こうした成果は「企画」ではできない、と感じている。

僕が考える「企画」は、言葉を変えると「サービス」だ。そのサービスは「消費者」と「商品」をつなぎ合わせる「糸」であり「場所」であり「商品」であり、そのサービスを成し遂げるためには、ベストマッチングな「市場(以下マーケット)」を必ず存在させるのが必須だ。そしてそのマーケットは、その企画者に対して「どんな商い」をもたらすのか。もう少し言うと、「どんな暮らし、生き方をもたらすのか」というところにつながっている。最近、その企画の「道筋の長さ」を課題に、取り組み始めている。

今回の講演会のテーマは「多業化」。現在、島根では、お米農家も多く、新規就農の多くは、お米農家がほとんどだ。その中でお米を縁故米(親戚や知り合いの農家の方から直接送ってもらう無償のお米)だけで扱うわけにいかず、JA や小売店に卸したりなどして、生計を立てているのが現状だ。そうした中「お米」という農業を鑑みた場合、お米を作ることだけではなく、お米の加工をして、別の商品を作り上げるなどの六次化産業の仕組みを作ったり、マーケットイン(商品の企画開発や生産において消費者のニーズを重視する方法)を用いて、単に既存米を作るのではなく、その商品のために必要なお米(例えば、低アミロース米ではなく、商品によって、高アミロース米を生産することに変更するなどして販売)を作り上げるような試みが行われている。もちろんお米に限らず、「デザイン」「IT」などの別事業を持ちつつ生計を図っている事業者や地域も増えつつある。現代の人口減少、高齢化がすすむ地方農家においては「お米だけでは成り立たない(もしくは成り立たなくなる)社会」を意識して、今後5年、10年の自分の農業や生業を作り始めていかなければ、「担い手」が育たないのでは?というフォーカスを持ちはじめているタイミングになってきている。だから「多くの業を持ちうること」が、生きていくための必須スキルだと思う。これは、今の都会に住む、もしくは暮らす人たちが持ちうる技であり、そうした都会の人間が地域再生に取り組む様子が増えているのも納得がいく。

そうした中、弊社や石見銀山生活文化研究所のような時間(とき)をかけながらも新たな試みを生み出し、成り立たせる企業が、地域でヒントが得られないかと、盛り上がり始めているのも実情だ。人と食の接点を、より良くするというコンセプトで弊社は経営しているが、どんな「食の接点を作るか」だけではなく、食の接点との「出会い方」「導き方」といった流れ(ストーリー)を意識していかなければならないと感じ始めている。

特に、地方が都会との接点が多くなると、作り手の生産者と、消費者の距離感が大切で、新たな事業のスタートは、そうしたところに生まれると感じている。この消費者と商品(作り手含め)の間を取り持つ企画はなんだろうかと、日々考えているなかで、石見銀山生活文化研究所の成り立ちは参考になると感じた。

一つの事業が生まれ、そこにスタッフが集まり、事業を成り立たせるビジネスをつくれば、一つの「集落」を生み出し、それがモデルとなって、世界各地に発信されるさまは、「30年(=One Generation/一世代)」というのが、最適なスピードだと感じている。そしてそれは、一つの個人の力ではなく、組織のあり方、お金の使い方にポイントがあるのではないかと思う。石見銀山生活文化研究所の活動を真似するのは非常に大変だし、同じものは生まれないと思うが、彼らの「姿勢」を見習うべきだと、僕は思う。

松田龍太郎

松田龍太郎

1977年生まれ。青森県弘前市出身。慶応義塾大学環境情報学部卒業後、日本放送協会に入局。
報道カメラマンとして、全国各地の事件事故、災害など日々のニュースの現場をはじめ、紀行番組の撮影に従事。その後、2007年企画・プロデュース業に転職。2010年より株式会社オアゾ代表を務める。
積極的に女性クリエイターを活用し、特に食にまつわる事業・店舗開発、PRコンテンツ制作を得意とする。現在神楽坂6丁目に「八百屋瑞花」という青果販売する八百屋 を展開中。
http://www.oiseau.co.jp