日本の旬を知りたい! [二十四節気の魚 12月]
東京オリンピック・パラリンピック開催の2020年まで、早いもので残すところあと一ヶ月となりました。師走にある二十四節気は12月7日の大雪、そして12月22日の冬至となります。陽が落ちるのが早いな、と感じる昨今。それもそのはず、一年で一番昼間の短い冬至ももうすぐです。 12月に取り上げる魚は、まさに冬の魚食文化を語る代表的なフグと、おせち料理に欠かすことのできない数の子の親魚についてです。
大雪●12月7日●日本人を幸せにしてくれる魚
産卵前の冬、鍋の季節に旬を迎えるふぐ。淡泊にして、旨みがぎゅっと詰まった味わい。ふぐ刺し、ふぐちり、焼きふぐ、から揚げ、白子・・・、いずれもうっとりするほどのおいしさです。 そのふぐの最大の特徴は肝臓や卵巣に含まれる猛毒。その毒の怖さになぞらえたふぐを表す符丁(ふちょう)のうち、誤りを一つ選びなさい。
①鍛冶屋殺し ②北枕 ③鉄砲 ④富
【解説】
鍛冶屋殺し(カジヤゴロシ)とは夏の魚、イサキのこと。骨が非常に硬く、昔この骨が刺さって気の毒にも亡くなった鍛冶屋がいた、と伝えられる和歌山県ではイサキをこう呼ぶ。 ②から④はいずれもフグの隠語だ。②キタマクラは、死んだ人は北枕で寝かせるのが作法なので、当たると死んでしまうフグ毒の怖さを強調した符丁。③テッポウは当たると死ぬ鉄砲にたとえた。しかし、昔の鉄砲は精度が低くて滅多に命中しないことから、逆説的に「うちのは当たらない」という売り文句に掲げる店もあったという。 ④トミは江戸末期に流行した‘富くじ’にちなんだもの。これまた当時はなかなか当たらないので、縁起をかついでいわれた。
海の中では無数にいる魚のひとつにすぎず、ほかの国では見向きもされない危ない魚、ふぐ。私たち日本人の心をずっと惑わせ続ける魚への悩ましい思いは、
河豚は食いたし 命は惜しし 河豚汁を食わぬたわけに食うたわけ
とアンビバレントな感情を抱かせてきた。 ふぐの魔力に取りつかれた俳聖たちも。
あらなんともなや きのうは過ぎて 河豚(ふくと)汁 芭蕉 ふく汁の われ生きている 寝覚めかな 蕪村 五十にて ふぐの味知る 夜かな 一茶
当時はもっぱらふぐ鍋で食されていたようだ。
猛毒がありながら、最高級魚としての地位を不動のものにしているフグ。世界で約120種が確認され、日本には約45種が分布する。そのうち食用とされるのは、トラフグ、マフグ、ショウサイフグ、ゴマフグ、ヒガンフグ、シロサバフグなど数種類。なかでもトラフグの天然ものは、もっとも美味とされる。
華やかな大輪を咲かせるふぐ刺し。熟成し旨みがでるのを待って刺身にする。ぎりぎりまで薄くひかれるのは、皿の模様を愉しみながら身の硬いふぐを美味しくいただくため。身は高タンパクで超低脂肪。皿が透き通るほど薄くそぎ切りにするのは、身が締まっていて薄くないと噛み切れないため。イノシン酸、グリシン、リジンなどが豊富で、独特の旨みと歯ごたえがある。
大阪は安いフグ料理がいっぱいだ。鉄砲という隠語をもつ大阪では、「おもしろいこと言いまんな。ほなら鍋はてっちり、刺身はてっさ」と、笑い飛ばす豪放さがある。商人の町の自由さ、である。
そこにいくと、東京の不自由なこと。こっそり楽しめたのは町人レベル。幕府の方針はフグ食厳禁だったから、侍が口にしようものなら、家禄没収、御家断絶である。 豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年)のおり、肥前(佐賀県)名護屋城に集まった軍勢が地元で獲れたフグを調理法も知らず食べ、毒に当たり犠牲者が続出、戦力が大きくそがれた。以来、「フグ食は天下のためにならず」という秀吉の禁止令が江戸時代になっても引き継がれ、武士はフグ食を禁じられていた。 明治に入って、フグ食解禁をうながしたのは、初代総理大臣の伊藤博文というが、東京にはフグを扱うための日本一厳しい条例がしかれた。つい最近までずっとだ。これではフグ食風土は育ちようがない。 その東京が、身欠きフグ解禁に沸いたのは2012年のこと。身欠きフグというのは、卵巣や肝臓ほか毒のある部位を取り除いたおろし身だ。
下関・南風泊で処理された身欠きふぐ。毒を含む内臓を取り除いた後、大量の真水で洗い、血の一滴も残さぬようきれいに整える。本州の最西端、関門海峡をのぞむ下関。瀬戸内海と日本海両方の魚が水揚げされ、かつて日本最大の水揚量を誇った水産業の拠点だ。街の西側、彦島はふぐの島である。全国でただ一つのフグ専門の市場、南風泊(はえどまり)市場がある。最大20万匹を活かす大きないけすが400基、全国から24時間フグが運ばれてくる。国内水揚げのほぼ半分がここに集まる。 フグの美味しさは鮮度が勝負。入荷した活けフグは100㌘単位で重さごとに分けるが、秤にのせる時間も惜しく手に取った熟練職人が一瞬のうち重さを判断、700g、800g、900g、1kg・・・と選別していく。生きたまま競り落とされたフグは加工場へと運ばれ、ふぐ職人の手で瞬時に皮をはがれ、毒のある内臓や棘のある鮫肌などを除去する。こうして身欠きフグができあがる。
南風泊市場では、早朝、伝統的な‘袋競り’でふぐが取引きされる。腕に通した黒い筒状の布袋の中で、集まった仲卸業者が順繰りにセリ人の指を独特の数え方で握り、入札額を伝える。見本の身欠きの色や、ふぐの身の太り具合で選別。白子が入っているものが多ければ、トロ箱一箱の値段もぐんと跳ね上がる。クリームのようななめらかな食感に、旨みと上品な甘みがあるとらふぐの白子。珍味の白子が得られるオスは、メスに比べ価格が1.5~2倍になることもある。 石川県白山市美川に伝わる「ふぐの子ぬか漬け」。食用を禁止されているゴマフグの卵巣を2年以上にもわたって塩漬け糠漬けすることによって毒素を消失させる。が、未だにそのメカニズムは不明という。濃厚な味は日々のおかずとして食べられ、珍味として酒の肴に重宝される。 ふぐ刺し、ふぐちりのお供はふぐのひれ酒といきたい。ひれ干しの風景は冬の下関の風物詩だ。近年、フグが好んで食べる貝やヒトデに含まれる猛毒、テトロドトキシンがフグの内臓に蓄積されることが解明された。そこで、稚魚のときから毒のないエサだけを与えてトラフグ養殖が行われるようになっている。近い将来、フグの肝も食用とする時代がやってくるかもしれない。 いまや 河豚は食いたし 毒もなし である。
日本さかな検定協会 代表理事 尾山 雅一
【解答】①鍛冶屋殺し
冬至●12月22日●数の子、だれの子?
卵の数は数万粒。数の多さから子孫繁栄を連想させ、縁起物としておせち料理に欠かせない数の子。 アイヌの言葉で「かど」という魚の卵なので、「かどの子」が語源といわれています。 数の子の親魚を選びなさい。
①スケトウダラ②トビウオ③ニシン④ボラ
【解説】
ニシンは伝説の魚だ。漢字を当てると「鯡」。魚に非ず―。そもそもは江戸時代に米のとれない蝦夷(えぞ)地の松前藩が、代わりにニシンを年貢として徴集したことに由来している。 江戸から明治にかけての春、北海道に押し寄せたニシン。食用にしても余りあるそれは、脂を搾られると、北前船で西に運ばれ、畑の肥料になった。魚に非ず。肥料と卑下こそすれ、それは巨万の冨を生み、海沿いに鯡御殿が並んだ。 “魚に非ず”とは、あるいは、魚とは思えないほど大きな富をもたらす意味をこめてのことだったのか。 ニシンは伝説の魚だ。群がるニシンを漁獲する漁師の姿が民謡、ソーラン節に歌われた盛りの時期は昭和30年を境に消えうせた。♪海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)のやん衆がさわぐ ――北原ミレイが歌った「石狩挽歌」(作詞:なかにし礼)は♪あれからニシンはどこへいったやら 破れた網は問い刺し網か・・・と続く。
ニシンという名は、かつて身を2つに割いて片方を肥料に、もう一方を身欠きニシンに加工されていたことからと云われている。つまり「身を二つに割く」から「二身」(にしん)と。歳末になるとニシンの昆布巻きも店頭に登場。おせちに加えたいひと品魚に非ぬニシンは、鯡のほかに東の方でよくとれたことから「鰊」、北国の春告げ魚であることから「春告魚」とも表す。 また、東北地方にはいまでもニシンをカド、あるいはカドイワシと呼ぶ地域がある。山形県北東部の最上地方では、ニシンをカドと呼び、好んで食べる風習がある。古くから、春とともに最上川をさかのぼる舟で運ばれてくるニシンは、重い雪の季節が去ったことを告げる縁起物なのだ。人々はニシンを箱買いし、家族や友人たちと炭火で焼いて食べ、酒を酌み交わした。戦後、ニシンの減少や物流の発達とともに一時廃れたが、1974年に新庄観光協会が春祭りのイベント「新庄カド焼きまつり」として復活させた。 カズノコの名はアイヌの言葉で、ニシンが「糧(かて)」を意味するカドと呼ばれたことに由来している。ここから、ニシンの子が「かどの子」になり、訛ってカズノコという名が定着した。
ひと腹に平均5万粒といわれるカズノコがニシンのお腹の中にいる時に近い形。船上でさばいてその場で塩漬けにする。手で握ったようなふぞろいな形になるが、香り高く仕上がる。これを市場では「にぎりこ」と呼んで珍重している。春にとれたカズノコを飽和食塩水に漬けて保存し、いまでは塩数の子や味付け数の子で出回っているが、冷蔵技術が発達する前は天日で干して保存していた。
かつてはカズノコというと、干し数の子。一定の年齢以上の方には懐かしい一品。北海道の一部地域で干し数の子作りが続いている。初夏の晴れた日に数日間天日干しして、温度や湿度を調整しながら丁寧に乾燥させる。昭和30年代、突然姿を消したかのようにニシンの漁獲が激減したことから、かつて乾物屋も店先に山盛りにされた大衆食材の干しカズノコが高騰し、“黄色いダイヤ” と呼ばれるようになった。 その後アラスカ、カナダ、ロシアなどからの輸入に頼るようになり、国産カズノコが見られるようになったのは平成18年のことだ。 長年にわたる地道な種苗放流など資源回復に努めた結果、国産の生鮮ニシンが流通するようになったのは平成15年から。その間、実に50年の歳月が流れている。
数の子料理の定番、北海道名物「松前漬け」。スルメイカと昆布、人参との絶妙のハーモニーにご飯がすすむワインが欲しくなるバリエーション・メニュー「数の子のクリームチーズ和え」回遊魚のニシンは春になると北海道などの沿岸に近づき、メスが産卵。そのあとにオスが出した精子は、海を乳白色に染めるほどダイナミックで「群来(くき)」と呼ばれる。長らく見られなかった群来が平成20年頃から沿岸域で見られるようになっている。
北海道小樽市の沿岸に見られたニシンの「群来」 すし種として珍重される「子持ちこんぶ」は、ニシンが昆布に卵を産みつけたもの。予想外の取り合わせがおもしろく、噛めばプチプチと卵が弾け、続いて昆布のうまみが口中にあふれる。カロリーやプリン体が多いと魚卵を敬遠するむきもあるが、こと数の子にかぎっていえば、低カロリーにして、トマトやワカメなみの極めて少ないプリン体。くわえて、生活習慣病の予防に効果があるとされるDHAやアンチエいジングに有効なビタミンEが豊富ときている。 縁起と栄養、うまさを兼ねそなえた逸品、数の子で新年を寿ぎたい。 ①ケトウダラの卵(巣)は辛子明太子にもなるタラコ、②トビウオはトビコ、④ボラはカラスミだ。
日本さかな検定協会 代表理事 尾山 雅一
【解答】③ニシン
日本さかな検定(愛称:ととけん)とは
近年低迷が続く日本の魚食の魅力再発見と、地域に根ざす豊かな魚食文化の継承を目的として2010年から検定開催を通し、思わず誰かに伝えたくなる魚介情報を発信する取り組みです。 この四半世紀に街の魚屋さんが7割近くも姿を消し、またいまや地方にも及ぶ核家族化により、魚の種類・産地・季節・調理の情報や、祖父母に教えられた季節の節目に登場する魚の由来や郷土の味が伝わらなくなっています。 魚ほどそれをとりまく情報や薀蓄が価値を生む食材は他にないのに、語るべき、伝えるべき魅力が消費者に届かなくなっているところに、「魚離れ」や特定魚種への好みの偏りの一因があると捉え、愉しくおいしい情報を発信する手段として日本さかな検定が誕生しました。 2010年に東京・大阪で初めて開催。その後、地方開催の要望に応え、北は札幌、函館、八戸から南は沖縄糸満、鹿児島まで25の市町で開催へと広がり、小学生から80歳代まで世代を超えた累計2万4千名もの受検者を47都道府県から輩出しています。 今年10回目を迎え、2019年6月23日(日)に酒田・石巻・東京・静岡・名古屋・大阪・鹿児島で開催されました。
詳しくは、「ととけん」で検索、日本さかな検定協会の公式サイトをご覧ください。
日本さかな検定協会 http://www.totoken.com/