和食STYLE

日本名産紀行 柘いつか 第44回 福井県 天たつの汐うに

作家/旅行作家 柘いつか – Itsuka Tsuge –

福井で育まれた雲丹文化。
これまでの二百年と、これからの二百年の食文化を長く伝えるために。

天たつの越前仕立て「汐うに」は、日本酒との相性が格別です。添加物などは使わず、バフンウニの卵巣と塩だけで造るため、ねっとりと峻烈な味わい。昔、浜では、あごの裏に小豆粒くらいの量をつけて、お酒を1合飲んでいたという逸話も残っています。

まずは箸でほんのひとつまみ。口に入れて舐めなが甘くなったところでお酒を飲む。器に残った汐うにに、酒を注いで飲めばまた良し! 焼き海苔に汐うに乗せて、巻いて食べても乙な味です。その濃厚な旨みは口の中いっぱいに広がり、なめらかな舌触りと磯の香りの余韻をいつまでも楽しめます。
甘み、旨み、渋み、苦み。これがわかると大人だと、ある料理人に教えられたことを思い出しました。

創業文化元年(1804年)。
旧藩爾来松平家御用達の、日本最古の雲丹商。

奈良時代、福井には生ウニの保存方法として、「泥うに」といわれる生ウニに塩をまぜた日持ちのする保存用加工品があり、朝廷に献上していたという木簡が残されています。 水分が多く、甕に入れられ、柄杓で量り売りされていました。

越前福井藩主・松平治好公から三代目・天王屋五兵衛から、「戦時中でも持ち歩ける保存食」をと試行錯誤を重ね、塩蔵法による「汐うに」の製法を考案しました。
それが海岸一帯の漁師や海女に伝えられ、年貢となり、さまざまな海産物を取り扱いながら、御用商人として「汐うに」を一手にとりまとめ、藩主に納めていました。

「お殿様に喜んでいただけるものをつくりたい」
その一心で味と製法に工夫を重ね、当時の想いは現在も変わらず、「ただただ喜んでいただける、美味しいうにを創り続ける」という天たつの理念として受け継がれています。

江戸時代、汐うには高貴な限られた方へお納めするもので「御雲丹」と呼ばれました。
美味である上に入手が困難であったことから「長崎奉行の持品のからすみ」「 尾張公の持品のこのわた」に並ぶ「日本三大珍味の一」の称号を受けるようになりました。

将軍家、宮家、他藩への贈り物として、桐箱に入れることが習わしとされており、それが許された食品は汐うにだけでした。
現在も格式高く、美味しさと効能、日持ちの良さから通気性も良い桐箱入りで販売されています。
※「越前仕立て 汐うに」は天たつの商標登録です。

七代目・明治の天王屋辰吉(たつきち)の代には、松平春嶽(しゅんがく)公より
「天王屋の辰吉」略して「天たつ」と呼ばれ、屋号としました。

昭和天皇に献上する際には、九代目当主・天野吉利はガラス板の上に汐うにを薄く伸ばし、下から光を当てながら細かなウニの殻の破片を箸で一つひとつ取り除き、丁寧に桐の箱にお詰めいたしました。包装紙には今でも、江戸時代に使われていた貴重な福井城下地図が使用されています。

百年前より浜に伝わる幻の逸品

「干うに」は、1個のウニから1グラムしか取れない贅沢品ゆえに、戦前に製造禁止となった幻の品。今から百年ほど前、福井の浜の漁師や海女は、海でとれたバフンウニを沸騰させた海水の中に殻ごと入れて茹でて天日で干し上げ、地元だけで消費していたので、長きに渡って歴史なのかに埋もれていました。

人の味覚や嗜好は時代とともに変わるもの。
天たつは現在11代目になりますが、時代に寄り添い 変わるものと変わらないものがあるとすれば「ただただ喜んでいただける、美味しい雲丹を食べていただきたい」想いは変わりません。

創業文化元年 旧藩爾来松平家御用達 天たつ
https://www.tentatu.com/

柘いつか – Itsuka Tsuge –

作家。東京都生まれ。
世界50 カ国以上を訪れ、各界に多彩な人脈を持つ。もうすぐムーミン谷は卒業して、新トカイナカ(都会田舎)に行くことを考えている。
『一流のサービスを受ける人になる方法 極(きわみ)』(光文社)が好評発売中。ベストセラーとなった『別れたほうがイイ男 手放してはいけないイイ男』『成功する男はみな、非情である。』はアジア各国で翻訳された。
https://itsuka-k.com