和食STYLE

豆腐百珍のすべて 6 尋常品 高津湯どうふ

時代小説家/江戸料理・文化研究家 ⾞ 浮代(くるま うきよ)



【⾖腐百珍とは】
天明2(1782)年5月に刊行され、大ベストセラーになった江戸時代のレシピ本。豆腐料理だけを100品、6段階に分けて紹介するという斬新さで話題に。大根、卵、鯛、蒟蒻といった百珍ブームのきかっけとなり、『豆腐百珍続篇』『豆腐百珍餘録』も刊行された。

今回ご紹介するレシピは、6番目の『高津(こうづ)湯豆腐』で、温めた豆腐に葛餡をかけて、練りがらしでいただきます。
現在でも懐石料理などで「あんかけ豆腐」として時折見かけるこの料理、江戸時代に書かれた『豆腐百珍』の中でも、別名についていくつか記されています。

まず『高津湯豆腐』の名称については、原文に「大坂高津の廟(やしろ)の境内に、湯とうふ家三四軒あり。其料に用ゆる豆腐家、門前に一軒あり。和国第一品の妙製なり。」とあります。

「大坂高津の廟」とは、現在は大阪市中央区高津にある「高津宮(こうづぐう)」のこと。「廟」という字が使われているのは、仁徳天皇の霊廟だからです。皇后である難波高津宮の遺跡の上に社殿を築き、仁徳天皇を祀ったため、高津宮の名がつけられました。
元はもっと北にあったそうですが、豊臣秀吉が天正11(1583)年の大坂城築城の際、比売古曽(ひめこそ)神社の境内に遷座しました。

上町台地の上に位置するため、当時は大坂の町が一望でき、たくさんの茶屋が並んでいたと伝えられています。そこに湯豆腐屋が三、四軒あり、その中の門前の一軒がこの料理を出していて大評判だったと書かれています。

また、京の南禅寺(京都市左京区)でも同様の料理を「南禅寺とうふ」という名で出しており、江戸浅草にも「華蔵院とうふ」があったと。華蔵院は通称「善光寺東京別院」(台東区元浅草)の名で知られていますが、当時は七軒町にありました。

ここで一つ疑問が湧きます。
『豆腐百珍』が書かれた90年以上も前、元禄4年(1691年)創業の『笹乃雪(http://www.sasanoyuki.com)』(台東区根岸)の名物料理を、遠く大坂にいたとはいえ、筆者の醒狂道人何必醇は知らなかったのでしょうか? 
これはおそらく、江戸の旅の目的の多くが神社仏閣めぐりであったためで、門前グルメの評判の方が伝わりやすかったのでしょう。

上野の宮様(111代後西天皇の親王)が名物のあんかけ豆腐を召し上がり、「笹の上に積もりし雪の如き美しさよ」と賞賛されたことから屋号が付けられた『笹乃雪』では、宮様が美味しさのあまり、いつも二碗ずつ運ばせたことに由来し、現在も「あんかけ豆富(9代目が豆腐の「腐」の字を「富」に変更)」は二碗一組で提供されています。

■高津湯どうふレシピ
【材料】
絹ごし豆腐…1/4丁
塩…ひとつまみ
出汁…150ml
酒…小さじ1
味醂…小さじ1
醤油…小さじ1
葛(水溶き片栗粉)…大さじ1
練り辛子…少々

【作り⽅】
1. 鍋に湯を沸かし、塩をひとつまみ入れて、豆腐をそっと入れて弱火で温めておく。
2. 鍋で出汁を熱し、酒、味醂、醤油で味を整え、水溶き片栗粉でとろみをつける。
3. 1を湯から上げて水気を拭い取り、器に入れる。2を豆腐の上から注ぎ、練り辛子を乗せる。

⾞ 浮代
(くるま うきよ)

時代小説家/江戸料理・文化研究家。
企業内グラフィックデザイナーを経て、故・新藤兼人監督に師事し、シナリオを学ぶ。現在は、江戸時代の料理の研究、再現(1000種類以上)と、江戸文化に関する講演、NHK『美の壷』他のTV出演や、TBSラジオのレギュラーも。
著書に『免疫力を高める最強の浅漬け』(マキノ出版)『1日1杯の味噌汁が体を守る』(日経プレミアシリーズ)など多数。小説『蔦重の教え』はベストセラーに。西武鉄道「52席の至福 江戸料理トレイン」料理監修。新刊『江戸っ子の食養生』(ワニブックスPLUS新書)発売中。。
http://kurumaukiyo.com