和食STYLE

日本名産紀行 柘いつか 第35回 兵庫県丹波篠山「近又」の猪肉

作家/旅行作家 柘いつか – Itsuka Tsuge –

文化庁100年フード認定のぼたん鍋
丹波篠山は歴史と伝統があふれる町です。
篠山城跡には2000年3月に再建された大書院があり、立派な石垣が当時のまま残っており、それを取り囲むように城下町が広がっています。
丹波篠山の町並みや文化は京都の影響が色濃く反映されています。

日本の三大猟場のひとつに数えられる篠山産の猪肉は、運動量が多く脂肪の乗りも良いので、抜きん出て美味しいと言われています。
その歴史は古く、縄文時代の大昔。当時から猪肉は食べられていました。仏教が伝来し、肉食が禁止になった時代も「山クジラ」と呼び、地方の里山等では、貴重なたんぱく源として食されていました。

その猪肉を使った名物鍋が、郷土料理百選にも選ばれる「ぼたん鍋」です。
江戸時代には、「猪」を「ぼたん」に置き換えて呼んでいたといいます。「馬」は「さくら」、「鹿」には「もみじ」という別名があります(古くから唐獅子に牡丹は付きもので、シシとかけたものと思われます)。

明治時代が始まり、肉食が解禁されると、猪肉を味噌で炊いた鍋を「イノ鍋」と呼んでいました。

丹波篠山の猪肉が全国に知れ渡ったのは、明治41年(1908年)頃のこと。陸軍歩兵部隊第70連隊の滋養食として、訓練の際に、丹波の山で獲れたイノシシの肉をみそ汁にして食べていました。
兵士たちは終戦後もその味が忘れられず、郷里に帰り、「丹波篠山の猪肉は格別!」と言い広め、全国的に有名になりました。

御嶽おろしに舞う雪の
窓の小篠に積る夜は
酔うて凭れて思われて
沸るなさけのぼたん鍋

民謡「篠山小唄」の歌詞を募り「イノ鍋」では語呂悪く、5文字の「ぼたん鍋」という言葉が登場しました。
昭和20年頃、地元の老舗料理旅館が、猪肉を【牡丹の花】に似せて盛り付け、提供するようになり、「丹波篠山のぼたん鍋」の名が全国に広がっていき、現在、丹波篠山市内には、約40店舗のお店が、ぼたん鍋を提供しています。

地元の山を走り回り、丹波栗などの木の実や、丹波松茸、穀物を食べ、冬を越すために必要な分だけの脂肪をつけます。だからこそ、脂っこくない、さっぱりとしたお肉なのです。
猪肉に多く含まれる多価不飽和脂肪酸は、悪玉コレステロールを減少させて、ドロドロ血液をサラサラにするのに役立ちます。

創業四〇〇年のぼたん鍋発祥の宿 近又で、秘伝の味噌に舌鼓
前述しました、猪肉をぼたんの花の形に盛り付けて提供し始めたのが、桂小五郎も訪れた料理旅館『近又』です。
兵庫県北部は山椒の産地でもあります。この山椒をぴりりときかせ、味噌でトロトロに煮込む伝統の味です。

2007年には、農林水産省主催の『農山漁村の郷土料理百選』の、兵庫県を代表する料理として選定。『有識者特別賞』も受賞しました。

自慢のだしと、猪肉から出るだしの共演で鍋の〆を楽しみます。先にうどんを煮て食べた後に、最後はだしで卵を半熟になる程度に煮て、白いごはんにかけていただく「ぼたん丼」に。これがもう、お腹がいっぱいでも夢中でかきこんでしまうほどの美味しさなのです!

近又オンラインショップ
https://kinmata.stores.jp

柘いつか – Itsuka Tsuge –

作家。東京都生まれ。
世界50カ国以上を訪れ、各界に多彩な人脈を持つ。ムーミン谷で人生初のトカイナカ(都会田舎)暮らしを始め、日本の良さを再認識している。
『一流のサービスを受ける人になる方法 極(きわみ)』(光文社)が好評発売中。ベストセラーとなった『別れたほうがイイ男 手放してはいけないイイ男』『成功する男はみな、非情である。』はアジア各国で翻訳された。
https://itsuka-k.com