豆腐百珍のすべて 4 尋常品 むすびとうふ
時代小説家/江戸料理・文化研究家 ⾞ 浮代(くるま うきよ)
【⾖腐百珍とは】
天明2(1782)年5月に刊行され、大ベストセラーになった江戸時代のレシピ本。豆腐料理だけを100品、6段階に分けて紹介するという斬新さで話題に。大根、卵、鯛、蒟蒻といった百珍ブームのきかっけとなり、『豆腐百珍続篇』『豆腐百珍餘録』も刊行された。
前回は『豆腐百珍』の著者、醒狂道人何必醇(せいきょうどうじん かひつじゅん)のペンネームの由来について書かせていただきましたので、今回からは数回に分けて、その正体である曾谷(そだに/そたに/そや)学川(がくせん)の人物像に迫ります。
曾谷学川は江戸中期の元文3年(1738年)、大坂から京に続く、西の玄関口である山城国で生まれました。この地は延暦3年(784年)11月11日、桓武天皇の命により、奈良の「平城京」から遷都された「長岡京」があった場所です。
災いが続いたため、延暦13年(794年)10月22日に京の「平安京」に遷都されてしまいましたが、わずか10年足らずとはいえ、同等の栄華を誇る、堂々たる都でした。
以降、この地に残った人々は、それぞれに集落を作って分かれ住むようになりました。また長岡天満宮を筆頭に、光明寺、乙訓寺、楊谷寺などの名所が点在したため、多くの人々が往来し、江戸初期には、京・大坂に引けを取らぬ賑わいを見せるようになりました。
学川の父も篆刻家でした。公家や武家の別荘が多い山城国では、絵や書をたしなむ貴人たちが印章を求めました。
それらは、名を刻した印であったり、別荘や庵の名を入れた室号印であったり、好みの言葉を彫った印であったりと多彩でした。
特に雅号印は、一人の人間が、書はこれ、絵はこれ、和歌はこれ、というようにいくつもの雅号を使い分けていたため、複数本の印章が必要だったのです。
父の元で、篆刻家になるべく育った学川は、やがて修行の場を京に求めます。
さて、今回ご紹介するレシピは4番目の『むすびとうふ』です。原文は「細く切り、醋(す)に浸(つけ)て、いかやうにもむすぶべし。よく結びて水へ入れ、醋気をさる也。調味はこのみしだひ」とあり、豆腐の結び方だけが書かれています。
調理方法はお好みで、とのことですので、今回はすまし汁に仕立てました。酢水に浸して豆腐を結ぶと酸味を抜くのが手間なので、ぬるま湯の中で結ぶ方をお勧めします。
■むすびとうふレシピ
【材料】
絹ごし豆腐…適量
出汁…350ml
酒…大さじ1
醤油…小さじ1
塩…少々
【作り⽅】
① 豆腐を7mm幅程度に細長く切り、酢水(分量外)に浸して結んだ後、真水に浸して酢を抜いておく(ぬるま湯の中で結んでも可)。
② 鍋で出汁を熱し、酒、醤油、塩で味を整える。
③ 椀に結んだ豆腐を網じゃくしなどですくって入れ、そっと出汁を注ぐ。
※豆腐を細長く切るには、蕎麦切りのように、豆腐の上にかまぼこ板などを置き、板に包丁を添わせると切りやすい。
(くるま うきよ)
時代小説家/江戸料理・文化研究家。
企業内グラフィックデザイナーを経て、故・新藤兼人監督に師事し、シナリオを学ぶ。現在は、江戸時代の料理の研究、再現(1000種類以上)と、江戸文化に関する講演、NHK『美の壷』他のTV出演や、TBSラジオのレギュラーも。
著書に『免疫力を高める最強の浅漬け』(マキノ出版)『1日1杯の味噌汁が体を守る』(日経プレミアシリーズ)など多数。小説『蔦重の教え』はベストセラーに。西武鉄道「52席の至福 江戸料理トレイン」料理監修。新刊『江戸っ子の食養生』(ワニブックスPLUS新書)発売中。。
http://kurumaukiyo.com